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第442連隊戦闘団

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第442連隊戦闘団は1943年2月、4500人の日系アメリカ人志願兵によって結成されました。志願した兵士のうち、3分の2はハワイ出身、3分の1は、家族が自宅から強制的に収容所へ送られたアメリカ本土出身者でした。 

第442連隊戦闘団の二世兵士は、ミシシッピ州のキャンプ・シェルビーで1年以上もの厳しい戦闘訓練に耐え、1944年5月、イタリア戦線で第100歩兵大隊と合流しました。その後、1945年5月まで、ヨーロッパ戦線での代表的な8つの戦闘で大活躍しました。 

彼らが参戦した戦いの中で最も多く語り継がれているのが、1944年秋、フランス・ボージュ山脈での「失われた大隊救出作戦」です。当時、アメリカ陸軍第141連隊第1大隊がドイツ国防軍に囲まれ、退路を絶たれてしまいました。第442連隊戦闘団は、5日間の激しい戦闘の末、ドイツ国防軍の包囲網を突破し、第1大隊の兵士211人を無事救出しました。しかし、この211名の命を救うために、第442連隊戦闘団の兵士400人以上が死傷しました。この戦いは、アメリカ陸軍史の10大戦闘の一つとされています。 

1945年3月、第442連隊戦闘団から分離された第522野戦砲大隊は、ドイツへの侵攻と、戦争捕虜になっていたフランス陸軍兵士の解放を目指す第7軍団に配備されました。ダッハウ強制収容所を解放、「ダッハウ死の行進」の阻止に成功し、数千人ものユダヤ人の命を救うという大きな功績を挙げました。 

再編成を行なった第442連隊戦闘団はイタリアに移動し、「ゴシック・ライン」と呼ばれるドイツ国防軍の防衛線で、第92師団に配備されました。「ゴシック・ライン」の攻防は5ヶ月以上の停滞状態が続いていました。4月5日早朝、第5軍団がゴシック・ライン中央を突破するのを援護すべく、二世兵士たちはおとりとして加わりました。暗闇の中、日系兵士たちは手探りで900メートル以上の急峻な山肌をよじ登り、見事に奇襲攻撃を成功させました。さらにおとりとしてだけではなく、4月14日にはゴシック・ラインの西側を陥落させました。1945年5月2日、ついにドイツ国防軍は降伏し、イタリアでの戦いが終結しました。 

第442連隊戦闘団は現在でも、その活動期間と規模に比して、アメリカ陸軍史上最も多くの勲章を受けた戦闘部隊として歴史に名を刻んでいます。

より詳細な情報は、Sons & Daughters of the 442nd Regimental Combat Team のウェブサイトをご覧ください。

 

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