ハワイ日系人の歩み

二世部隊の結成

疑いと偏見にも関わらず、2万人以上の日系二世で あるアメリカ人は、4つの米陸軍の部隊で立派に任務 を果たしました。すなわち、第100歩兵大隊、第442連 隊、軍事情報部、第1399工兵大隊の4つで、いずれも ほぼ日系人のみで構成されていました。

何百人もの二世は米国陸軍やハワイ州兵の一員とし て、12月7日の真珠湾攻撃時にはすでに防衛の任務に 就いていました。1942年1月5日、すべての二世は「敵 性外国人」とされ、ハワイ州兵の兵士だった者はスコ フィールド・バラックスに戻るように命令されました。 1942年5月、約1400名の二世の兵士は船でサンフラン シスコに渡るよう、秘密の命令が下りました。彼らは サンフランシスコに到着してはじめて、第100大隊と 命名されたのだと知りました。

さらに、ハワイ大学の学生であった二世たちは、戦 争に従事する機会を求めて米国陸軍に嘆願書を書き、「大学勝利奉仕団」として建設のための労働力を提 供しました。

第100大隊と大学勝利奉仕団の前例を見て、米国政 府は、二世を主とした戦闘部隊である第442連隊を設 置することを決めました。

第1399工兵大隊はハワイにおいて編成され、オア フ島の主要な防衛のための建設を完了させました。

第100歩兵大隊の二世の兵士たち(1944)。

ハワイ大学に通う予備役将校訓練課程所属の士官たちは、建設 作業のための労働力として米陸軍を支援するため「大学勝利奉 仕団」を結成した(1942年)。

訓練のためキャンプに出発する前の第442連隊戦闘団。 イオラニ宮殿にて(1943年3月)。

この写真に写っている者の大半を含め、ハワイ出身の二世の志 願兵は、1944年2月にミネソタ州のキャンプ・セイヴィッジにて始 まった陸軍軍事情報部語学学校の多数を占めた。

Nisei Veterans Legacy