ハワイでの抑留の経験
真珠湾攻撃時、日系人はハワイの人口の40%近く を占めていました。これだけ多くの労働力を収容する ことは非現実的であり、経済的影響も計り知れませ ん。アメリカ政府はハワイにおいては日系人の抑留 に異なるアプローチをとることとしました。
日本との戦争を予期し、連邦調査局(FBI)は、拘 留すべき日系人を決定するため、ハワイの日系コミュ ニティの中で有力な個人の情報を調べました。聖職 者、語学学校の職員、領事館員、日本とつながりのあ るビジネスマンなどです。
1941年12月7日、400人以上の日系人が抑留されま した。彼らは当初、ホノルル湾のサンド島に建てたテ ントやハワイ諸島の別の場所に収容されましたが、 その後、オアフ島中部のホノウリウリ収容所や米国 本土の収容施設に移されました。最終的には、2000 人以上の日系人が様々な収容施設に収容されました。