ハワイ日系人の歩み

太平洋戦争の始まり

1941年12月7日、大日本帝国海軍の航空機が 真珠湾を攻撃し、アメリカが第二次世界大戦に参 戦することとなりました。真珠湾攻撃は世界を驚 かせ、ハワイの日系人にも疑いの目が向けられる こととなりました。ハワイでも戒厳令が宣言され ました。

ア メ リ カ 西 海 岸 へ の 侵 攻 を 恐 れ 、フ ラ ン ク リ ン ・ D・ルーズベルト米国大統領は1942年2月19日 に大統領令第9066号に署名し、西海岸に住んで いた約12万人もの日系人が抑留されることとな りました。

彼らの多くはアメリカ国民であったにも関わら ず、住居や農場やビジネスを手放すことを強要さ れ 、大 き な 損 失 を 被 り ま し た 。そ し て 、軍 に よ る 監 視の下、西海岸から遠く離れた強制収容所に移送 されました。

カリフォルニア州ヘイワードにて立ち退きの時を待つモチダ家族 (1942年)。

有刺鉄線の向こうから収容所の外を見つめる若き二世(日付不詳)。

日系人家族は戦争が終わるまで人里離れた収容所に収容された。マンザナール収容所にて(1942年7月)。

1941年12月7日(現地時間)に攻撃を受ける真珠湾。

Nisei Veterans Legacy