ハワイ日系人の歩み

初期の契約移民

1868年、少数のグループの日本人がハワイにやってきました。彼らの多くは横浜市の出身で、熱帯地方の太陽の下、農作業を行うことには慣れていませんでした。うまく生活していくことができず、ハワイへの冒険は成功とは言えませんでした。

1885年以降、ハワイ王国と明治政府双方の合意を受けて、さとうきびプランテーションのオーナーは、主に福島県、新潟県、広島県、山口県、福岡県、熊本県、沖縄県などの地方から労働者を雇用します。これにより、多くの日系移民がプランテーションで働くためにハワイにやってくることとなりました。

多くの労働者は貧しい家族の出身で、素晴らしい新たな生活を夢見て、そして、ハワイでお金を稼いで日本に帰るのだという希望を持って、単身でやってきました。

しかしながら、プランテーションでの生活は厳しく、給料は安かったのです。労働者はプランテーションのオーナーとの契約の下、思っていたようにお金を蓄えることはできませんでした。

ホノルル港にてシャトル・ボートから下船する日本からの契約移民(1893年)。

ハワイ島に向かう準備をするホノルルの契約移民(1899年頃)。

カウアイ島キラウェアさとうきびプランテーションの日本人労働者たち(1912年頃)。

オアフ島アイエアのさとうきびプランテーション。後ろに写るのは真珠湾(1920年頃)。

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